翻訳コラム

2023.01.25

日本語翻訳には英語の「不定冠詞/定冠詞」、「単数/複数」の理解が必要

 近年、機械翻訳の技術が進歩したため、英語から日本語への翻訳はやや簡単になりました。機械翻訳の経験者ならわかると思いますが、機械翻訳後の日本語にはところどころに理解できない箇所があります。よって、いまだに人間が注意すべき点がいくつかあります。

 英語は関係代名詞によって後から説明を加える文章構造をしているため、日本語に変換するときに、関係代名詞を介して成り立っていた文章構造がずれてしまう場合があります。このように、関係代名詞のかかり方が原因となって誤った日本語となる場合がある他に、そもそも技術用語自体が誤っている場合もあります。

 さらに注意すべき点があります。英語には、日本語にない概念があるため、機械翻訳後の日本語がどうしても不自然な文章になりがちです。例えば、英語で汎用される「a/the」、すなわち「不定冠詞/定冠詞」の概念は、日本語にありません。さらに、日本語ではほとんど意識しない「単数/複数」の概念も英語には存在します。日本語にない英語の概念が機械的に翻訳されてしまうと、不自然な日本語になってしまいます。

 例えば、靴の発明を挙げます。一般的に英語では「shoes」という複数形で記載されますが、特許における英語では「shoe」という単数で記載されている場合もあります。日本語では、両足用の靴2つであっても片足用の靴1つであっても、靴は靴です。しかし、英語では、両足用の靴と片足用の靴が概念として明確に区別されています。もし、両足用の靴がそろっている点が重要であれば、常に「複数」を意識して日本語へ翻訳しなければいけません。一方、片足用の靴だけでも特許の特徴になるのであれば、常に「単数」を意識して翻訳しなければいけません。後者の場合、「一方の靴」を念頭に置きながら「単数」を意識して日本語に翻訳する必要があります。

 同様に、「the」の概念も注意を要します。英語を母国語とする人は「the」という言葉を無意識のうちに、「a」と使い分けていると考えられます。英文法によると、「the」の用法には例えば以下の用法があります。
1. 一度でも登場したものを指すために使う場合、
2. 書き手と読み手とが特定のものを認識している場合、
3. 唯一のものである場合(the sun, the earth など)、
4. その他文法的に決まっている場合
 このような用法を見ただけでも、日本語にない概念であることは間違いありません。

 上記の1. に関係しますが、特許文章に特有の「the」の使い方としては、「said」(前記)とほぼ同じ使い方があります。特許請求の範囲で「the」が登場したときは、「前記」と訳すべきかどうか十分に考えるべきです。特許請求の範囲における文章は、特許権の範囲を決める重要な文章であるからです。

 しかし、仮に、「the」のすべてを「その」、「あの」と日本語へ翻訳してしまうと、かえって意味が伝わりづらくなります。英文を書いた人は、文章中で先に登場した何かの用語を指すために「the」を使用しているかもしれません。しかし、日本語の読者は、先に登場した用語を意識しつつ文章を読んでいくため、文章中に何度も「その」、「あの」が現れるとかえって混乱してしまいます。

 以上のような観点から、特許請求の範囲では「the」を「前記」と翻訳することを十分に検討しますが、一方で明細書ではあえて「the」を日本語に訳さないという選択もあり得ます。英語と日本語との間にある概念の違いを十分に意識するからこそ、上記のような賢い選択ができます。

 AIを利用して日本語へ翻訳した場合であっても、翻訳後の日本語では、概念の違いまで意識されず、言語間の概念の違いが十分には反映されにくいでしょう。あいまいで高度な概念まで考えつつ翻訳できるのは、まだまだ人間の脳であるといえそうです。

 そもそも言語間における概念の違いの原因は、それぞれの考え方をもった集団がそれぞれの言語を長年にわたって使い続けてきたことにあります。極端な例を挙げると、物の数をあまり意識してこなかった日本人と、物の数を厳密に数えて言葉に反映させてきた古代イギリス人(広くは古代ヨーロッパ人)、という対比ができるかもしれません。言語の概念の違いを通して、古代における日本人と西洋人との間の文化の違いがかなり大きいことも再認識できそうです。

 上述しましたように「不定冠詞/定冠詞」、「単数/複数」の日本語翻訳における難しさを実感しています。まだしばらくの間はAI機械翻訳に頼れないところもあります。英文特許文書を10年以上にわたって何度も日本語へ翻訳してきた経験者のひとことでした。
(ガイナミン)

筆者プロフィール
  特許文書を英語から日本語へ翻訳する業務を15年程度続けています。
  米国からの出願だけでなく、欧州(主にドイツ)からの出願の翻訳も数多く経験してきました。