翻訳コラム

2022.09.12

マニュアルの作成・翻訳と認知心理学

多くの場合、英訳する元となる和文マニュアルは、技術者(エンジニア)またはテクニカルライターが、古いバージョンの製品のマニュアルをベースに、仕様書や内部の技術資料を参考にしながら作成します。和文マニュアルがわかりやすければ英訳も容易になりますし、早く完成すれば英訳も余裕をもって高品質のものを作成することができるようになります。したがって、英訳側で和文マニュアルも担当できるのが理想形の一つであるといえます。また、和文マニュアルを英訳するということは、英文版のマニュアルを作成することと同じです。そこで、今回は、マニュアルの作成と認知心理学の関係についてお話したいと思います。

意外に思われるかもしれませんが、マニュアルの作成と認知心理学には関係があります。それは、わかりやすいとは何かを考える必要があるからです。
マニュアルでは、ユーザーがマニュアルから知識を得て、頭の中にすでにあるイメージと照らし合わせて理解し記憶して、最終的にはそれを基に行動することになります。そこで、マニュアルの作成には認知心理学の知識が応用できるといわれています。
理解するときに参照する頭の中の既存のイメージは、技術知識の有無やそれまでの経験等によって、各人で異なります。したがって、マニュアルを作成して翻訳するときには、具体的なユーザー像を想定することが不可欠です。そこで、初心者向けのマニュアルを作成したり、以前のバージョンを使ったことがあるユーザー向けに実践編を作成したり、多種多様なユーザーのために目的の異なるマニュアルを何冊も作成することが多々あります。

文章にわかりやすい図を加えることも、理解を促す一つの方法です。このとき、図に機械を操作する人間の手を加える など、ユーザーが身近に感じられるような工夫をすることによって、より理解が深まり記憶しやすくなるといいます。

私はある講座で銀行ATM等の操作パネルのユーザーインタフェースを研究している人とお話したことがあります。ユーザーの動作を想定して、どのようにしたらユーザーにとってわかりやすいタッチパネルを設計できるか考えているという話を聞いて、マニュアルの作成や翻訳と共通点があると感じました。

先日、高速道路で「覆面パトロールカー取り締まり路線」の標識を見て、隠れて取り締まりをするのに事前告知するのはどういうことなんだろうと考えてしまいました。それは、目的が取り締まることではなく安全運転を促すためだからです。例えば、マニュアルを理解しやすくするためには、必要な事柄が簡潔に記述されていることが推奨されますが、理由を明記することが理解を深めることにつながるのであれば、理由を説明することも必要といえます。

さて、ここまではマニュアル作成の話がメインになってしまったので、ここで少し英訳の話をしましょう。先ほどの標識を見て、パトカーはパトロールカーの略であることを思い出しました。 技術文書に複数回出現する単語に一般的な略称があれば、
和文は、「…パトロールカー(以下、パトカーと略す)…」
英訳は、 ”…patrol car (hereafter referred to as 〇〇..).”
と書くと良いのだったな、referred to asが堅苦しければcalledも使えるなどと考えながら高速バスの窓の外を眺めました。

実は「覆面パトロールカー」も正式名称ではなく、正式には「交通取締用四輪車(反転警光灯)」ということがわかりました。ちなみに、漢字の羅列を英訳するときは、そのまま名詞の羅列にしても間違いではありませんが、意味を考えて前置詞のforやofなどを用いてくだいた表現にしたほうがわかりやすくなります。漢字は熟語にすると短く直観的に意味がわかりやすいので便利ですが、英訳のときは長さとわかりやすさのバランスをとりましょう。

だいぶ本題から脱線してしまいました。話を戻します。日本語と英語ではどのような認知の違いがあるのだろうとお考えの方もいらっしゃると思います。日本語と英語自体にも、編集の面でも、気をつけなければなりません。日本語では主語がなくても自然なのに、英訳すると、主語がないと受動態のまわりくどい文になって、わかりにくくなってしまったりします。また、日本語ではなんでも数字で1. 2.3…と示しがちですが、英語では、数字は手順などの順番を示すときだけ使って、その他の箇条書きでは、中黒点(・)などを用いることが多いといわれています。同じ色を見たときの感じ方も違うようです。調べるともっといろいろありそうですね。これからも、もっと知識を増やして「良いマニュアルとは、英訳とは何か」を考えていきたいと思っています。(藤井)

執筆者プロフィール
  イギリス生まれ北海道育ち。小学生のときにアメリカで1年半過ごす。津田塾大学卒
  日本の半導体メーカーで技術系の翻訳に約20年従事。現在はフリーランス